チヌ釣り名手・大知昭ヒストリー 【第10話】第1回マルキユーカップチヌ優勝!

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チヌフカセ釣りの名手・大知昭(おおち あきら)さんのチヌ釣りのルーツや数々の栄冠を手にしたトーナメントへの取り組みなどを連載で紹介! ※プロフィールなどは2014年当時のもので現在と異なるものもあります。写真は主にモノクロとなります。ご了承ください。

大知昭ヒストリー扉
大知昭/シマノインストラクター、マルキューアドバイザー、金龍鉤スペシャルプロスタッフ、キザクラフィールドテスター

準備は万全!

2001年に開催が決まった「第1回マルキユーカップチヌ釣り選手権」。「地元開催」「推薦出場」優勝して当たり前というプレッシャーは大きかったが、久しぶりの大会出場のチャンスとあって大知さんはトーナメントに向けての取り組みを再開した。

「2時間でどう釣りきるのか。数でいくのか、型狙いか。相手との駆け引きはどうするのか。それとどこの磯にあたっても自分の釣りができるように、自分のリズムで釣りができるように、週に2日の定期的な釣行を繰り返したよ」

大知さんはその当時を振り返る。

くわえて、練習にもその都度目標を持ったという。無駄な動きをなくす、食わすパターンをつかむ、藻の抜き方などなどだ。徹底的に練習する大知さんを見ていた弟の豊はさんは「報知(グレ釣り選手権)に励んでいたころの兄貴を思い出した」と、そのときの光景を振り返る。

そして大会直前。「マキエが自分でいい感じに入ったと思ったとき、たいていよい成果が出ている」という大知さんは、遠投力、コントロールとも最高の状態に仕上がっていた。

そして2001年4月、ガラ藻が例年になくよく繁茂した広島湾宮島、阿多田島で「第1回マルキユーカップチヌ釣り選手権」が開催された。

試合は3名1組による3時間の対戦。9匹までのチヌの総重量で争われた。

1回戦、大知さんは「可部島」で、のっけから30~40mの遠投を繰り出し、チヌを浮かせにかかった。4月の広島湾は、どちらかというとガラ藻の際を攻めたほうがチヌはよく釣れるのだが、大知さんはあえて遠投した。

「責任感」

このときの大知さんをひとことで表すとこの言葉になる。練習でも遠投で釣れることは体験していたが、この大会ではただ勝つだけでなく、遠投釣法の第一人者として、また配合エサの遠投性を示すべきインストラクターとしての立場もあったのだ。

人知れぬ大知さんの戦いがそこにはあった。

試合は大知さんの独壇場となった。対戦者のうち1名は1匹の釣果。もう1名は釣果なしに終わったが、大知さんはこの試合、規定の9匹を大きく上回る14匹という釣果をたたき出した。

続く2回戦の試合会場は宮島の「スベリ」だった。この磯は全般に浅く、宮島、阿多田島周辺でも特に遠投が必要とされる。手前は一面藻だらけで、50mほど沖にカケアガリがあり、そこから深く落ち込んでいる。

当日、カケアガリのさらに沖に定置網(カゴ網)のブイが1つ浮かんでいた。大知さんは渡礁時に「ブイが気になるなぁ」とつぶやいた。それを大知さんをよく知る大会協力渡船船長は「大知くんは阿多田島までマキエを投げるけぇのお」と笑った。大知さんの遠投力がいかにすごいかを証明するエピソードだ。

この試合の対戦者は、同じ広島の選手、そして大会前、熱心に練習に通った岡山の選手だったという。大知さんは右端の釣り座で超遠投を実践。結果、この試合でも他の追随を許さず、11匹の釣果で圧勝した。

手にした栄冠!

マルキユーカップ優勝 大知昭
優勝を手にした大知さん。この試合には様々な思いを持って挑んでいた

そして決勝戦。場所は同じく「スベリ」。ファイナルの相手は岡山の選手に、強豪インストラクターの高園満選手だった。

潮は下げ7分ほど。釣り場前面には所々で藻が水面から頭を出している。潮位が高かった1回戦、2回戦と異なり、遠投、そして藻の中での確実な取り込みが要求される状況だった。

会場では多くの選手が試合を見守っていた。大知さんはこの日のため、過去に愛用していたステンレス、ロングシャフトのシャクを持参。マキエは入念に練り込んでいた。

そして審査委員長、豊さんのホイッスルとともに決勝戦がはじまった。

大知さんは長大なシャクを渾身の力で振った。放たれたマキエは、空中で理想の広がりを見せ、カケアガリ付近にバラケて着水した。20杯近くマキエを入れただろうか。大知さんはようやく『大知ウキ遠投スペシャル』を用いた完全フカセ仕掛けを、オーバースローで投げ入れた。

観戦者の多くは、このとき初めて大知さんの遠投釣法を目の当たりにした。ある観戦者は、はるか沖にあるはずの白いブイが、なぜか近くに見えたという。会場は水を打ったように静まり返り、多くの人が自然と立ち上がって大知さんの所作に呆然としていた。

大知さんは当時のことをこう語った。

「全国から来た人に自分の釣りを見てほしかった。遠投釣りを地元に持ち帰ってもらって、地元で試してほしかった」

数投目。下段に構えた穂先が小さく反応、続いて大きく竿が絞り込まれた。大知さんは慌てることもなく、ガラ藻の林の中を誘導、1匹目のチヌを取り込んだ。その後、続く第2ラウンドにかけて、大知さんは10~20分に1匹というハイペースでポイントを重ねていった。

最終ラウンド、大知さんは匹数でトップに立っていた。しかし対戦者の1人が猛追、その差1匹と迫っていた。「大知さんが寄せたチヌを、その後そこに入って拾わせてもらった」と大知さんの後に続く釣り座ローテーションだったその選手は、のちにこう語ったという。

大知さんは格段に藻が厳しい釣り座に立っていた。潮は最干。チヌの活性は落ちていた。大知さんは手前の藻の中に狙いに切り替えた。残り時間10分、小さく微妙な誘いをかける大知さんに、この試合でもっとも良型となる40cmクラスが藻の密生地帯で食ってきた。

「チヌを大きく走らせるわけにはいかない」大知さんはチヌを泳がせず、だましだましで寄せにかかった。しかし、取り込みまでもう少しのところで足元近くの伸びたガラ藻にハリスが絡まった。水深はない。泳ぐチヌが見える。大知さんは、藻に入った方向と逆にチヌを泳がせるため、その逆、すなわち藻に入った方向に向いて竿を小さく小突いた。チヌは嫌がって反対に少し走る。絡まったハリスが藻の一段上に上がる。時間をかけ、数回これを繰り返した結果、この試合9匹目となるチヌが大知さんの玉網に収まった。

「昭さん、ほんまによう釣りますな!!」 すぐ隣の干出岩で苦戦していた高園選手のこの言葉が印象的だったと当時この試合を見ていた観客は語る。

ほどなくして試合終了。大知さんは周囲から義務づけられた「当然の優勝」のプレッシャーを跳ね除け、全試合で34匹の釣果を上げるという驚異的な結果を残した。それはこの数年間、トーナメントに出ることなくチヌ一本で精進してきた成果を出し尽くした結果だった。

「プレッシャーもあったけど、そこに打ち勝てたことと、第1回のこの大会、どうしても優勝が欲しかったから本当にうれしかったね。それまで支えてくれてた仲間の顔とかが一気に頭をかけめぐったよ。自分は仲間に恵まれているってね」

優勝の瞬間、大知さんはそう思ったという。トーナメントで結果を出せたのは、大会で知り合い、お互い教え、教えられる仲間に恵まれたおかげ。現在、インストラクターや役員としてトーナメントに携わっていけるのは、スタッフに恵まれたおかげだと。

「1人で釣りをしていても得られる経験や情報は少ないし、そうそう技術は伸びるもんじゃない。でもね、仲間がいれば別なんだよ。トップレベルの全国大会に出て学ぶ機会はそうそうなくても、クラブにいて仲間と竿を出す、話をする、多くのことを見る、聞く機会を得る、お互い助け合う。これが自分を大きくしてくれた」

これは現在も続いている。大知さんが代表を務める「チームアクア」には幅広い年齢層のフカセ師がおり、そのエリアも広島だけなく、山口、九州など幅広い。大知さんはもっぱら指導的立場ではあるが、後輩の釣りを見ていても自分にとって大きな発見があるという。この姿勢が大知さんの強みなのだろう。

そしてこの大会のあとも、大知さんの激闘は続いていくのであった。

マルキユーカップの大知昭
マルキユーカップチヌは、2007年まで広島湾で開催され、大知さんは連続出場
LF磯クラシックの大知昭
大知さんは第1回大会はとにかく強い。レジャーフィッシング誌が主催したチヌ釣り名手を集めた「LFチヌクラシック」の第1回大会では圧倒的な釣果で優勝。ちなみに第2回大会も優勝した

【第11話】に続く

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