チヌフカセ釣りの名手・大知昭(おおち あきら)さんのチヌ釣りのルーツや数々の栄冠を手にしたトーナメントへの取り組みなどを連載で紹介! ※プロフィールなどは2014年当時のもので現在と異なるものもあります。写真は主にモノクロとなります。ご了承ください。
チヌひと筋へ
『大知ウキ』の誕生により、大知昭・豊の大知兄弟の釣りは大きく変化を遂げ、その後の躍進につながっていった。前回まで紹介した戦績をはじめ、1995年には「報知グレ選手権」で大知さんが準優勝、弟の豊さんが優勝という2度目となる兄弟ワンツーフィニッシュを達成。くわえて豊さんは報知グレの名人戦に挑み、名人位を獲得するまでに至った。
グレで好成績を収める豊さん。その一方で大知さんには「チヌ一筋」への転換期がやってきた。それは1998年4月に大分県鶴見で開催された「第1回東レカップチヌ」というチヌ釣りトーナメントだった。
大知さんは豊さんとともに招待選手として出場することとなったのである。
「そのとき豊と東レのフィールドスタッフになったばかりでね。推薦者の期待に応えるためにも、大会で実績をなんとしても残したかったのを覚えているよ」
こんな思いにはほかにも理由があった。それは前年の1997年に三重県尾鷲で行われた「第1回東レカップグレ」に豊さんが初出場し準優勝という快挙を残していたからだ。大知さんにとってよろこばしいことであり、大きな励みとなっていたものの、一方では負けられない闘争心が燃え上がっていたという。
くわえて当時は全国規模のチヌ釣り大会がG杯だけだったのでこの大会は画期的なものと注目された。参加者も一般募集された地元九州の釣り人に加えて、鵜澤政則、宮川明、山元八郎、江頭弘則ら当時の東レスタッフ陣。さらに数多くのG杯チヌ優勝者を輩出していた九州からも名だたる名人らが参戦し、実にそうそうたる顔ぶれであったという。
「すごいメンバーだったね。でもって会場は自分は初めてとなる鶴見湾内。外海の切り立った磯を想像していたんだけど、緩やかな潮、浅場が続く地形、シモリやガラ藻の様子なんかは、ホームグラウンドの広島湾に似ていると思ったね」
そんな印象から遠投が効果的かも……と大知さんはひとつの策をもって臨んだという。それは当時試作段階であった『大知ウキ遠投スペシャル』の実戦投入である。このウキは涙滴型「豊ウキ」のフォルムを受け継いだほぼ円形に近い形状のウキで、遠投性と安定性をより追求した大知さんの自信作であったそうだ。
「現在の『大知ウキ遠投スペシャル』のほぼそのままの形に近かったかな。寸が短いからガラス管の長さが『大知ウキ』より短くできて、糸抜け性能を向上させたんだよ。このウキに全遊動仕掛け、そして遠投を組み合わせて戦うことに決めていた。やってやるぞ〜! という気持ちがすごく強かったのを覚えているよ。そしてこの大会が自分へ与えてくれたものは本当に大きかったんだ」
大知さんはとても貴重な時間だったのだとその戦いを振り返って教えてくれた。
釣技だけを頼りに
大会初日。まずは4名1組での予選リーグ。総当たりで3試合が行われた。
第1試合前半、大知さんは対戦者にチヌ1匹を釣られて先行されるが後半に食い渋りを確信すると『大知ウキ遠投スペシャル』の糸抜けのよさを利用し、完全フカセの全遊動仕掛けで攻めることに。ゆっくりと沈めたサシエをそのまま底に這わせ、小さく誘いながらアタリを待つ。そして後半残り15分、エサ盗りもなかなかアタらないなか、ようやく穂先に小さな反応があった。大知さん独特の下段の構えからの誘い技。これが功を奏して食わせたのが40㎝級。なんとか逆転して勝利をものにした。
続く第2試合。水深は少し沖で10mほど。鶴見湾内では比較的深場な磯とされており、釣果が期待された。しかし潮止まりの時間帯に当たったためか、エサ盗りの反応すらなし。結局、対戦者ともに釣果なく、引き分けに終わった。
そして第3試合。ここまで1勝1分けの大知さんは、この試合に勝てば予選リーグ突破が決定的だった。会場は浅場が広がり、沖に藻が生えた、まさに得意な釣り場。潮止まりから潮が動きはじめ、チヌの活性が上がってきたのだろう。大知さんはのっけから遠投で沖のカケアガリを攻め、40〜45cmの良型を3匹仕留めた。対戦者は釣果なし。
こうして大知さんは無事予選リーグ突破を果たし、初日が終了した。
大会2日目は決勝トーナメントの3試合が行われた。第1試合は、準々決勝。予選リーグ各ブロックの勝者8名によるマンツーマンの対戦。勝ち残った選手の多くは、北九州で有名な『イモちゃんダンゴ』という練りエサで釣果を上げていた。しかし大知さんはその存在をまったく知らなかったという。現在では練りエサを駆使してエリア問わず釣果を上げる大知さんからは信じがたいエピソードだ。
「よく釣れるらしいってことをそのとき知って興味はあったけど、これまでもなんとかオキアミで勝ってきていたからね。深く考えずに、準々決勝戦もオキアミで臨んだよ」
と大知さんはそのときを振り返る。
準々決勝・素早い決断で勝ちを拾う
準々決勝の試合会場は「野崎4番」という磯。九州の選手との対戦となった。ここは砂地にシモリが点在し、水深はそれほど深くない。大知さんは「いかにもチヌが出そうなポイントだ」。そう思ったという。
しかし前日の第2試合同様、エサ盗りもほとんどアタってこない状況となった。 前半を0対0で折り返し、後半も15分過ぎ、「もうチヌはだめだ……」と内心思っていた矢先、足元でチラチラする数匹のグレに気がついた。この大会、チヌが出なければ25cm以上のグレが検量対象となる。大知さんは意を決し、仕掛けを変えることに。
ウキ下を1ヒロ半ほどに短くし、口ナマリを取り去った完全フカセ仕掛け。マキエもシャクを切るように撒いて、少量をできるだけバラケさせて撒いた。するとグレがすぐに食ってきた。大知さんはグレを1匹取り込むと、すぐさま元の仕掛けに変え、再びチヌ狙いに切り替えた。
「前日の第1試合のような食い渋り対応の攻めを展開したよ。完全フカセで小バリ。サシエを底に合わせて小さく誘ったね。でもね〜、最後までチヌが両者ともに出なかったんだよ。自分は結局グレでこの試合の勝ちを拾ったんだ」
準決勝・2.5kgの大型チヌで決勝へ
続く準決勝戦。対戦者は九州を代表するチヌ釣り名人だった。場所は「野崎2番」という全体的に浅く、ガラモとゴロタ石の底が広がっている釣り場。大知さんはこれまでの流れから見て「出ても1匹」と踏んでいた。
試合では通常、あらかじめ食いそうな場所を数カ所想定し、ローテーションして攻める場合が多い。しかし食いの悪さを予想した大知さんは、この試合、はじめからもっともよさそうなポイント1点に絞った攻めを組み立てた。
前半、地形や藻場など変化に乏しい右の釣り座に入った大知さんは、自分のエリアはまずダメと思い、対戦選手の釣りを観察していた。そのなかで相手のエリアの中に気になる場所が一ヶ所あった。魚が動かない、離れない。こんなときは、藻際のカケアガリが有効なのだが、相手エリアには、約20m沖のカケアガリのラインが手前に溝状に切れ込んでおり、その両側にはシモリがあり藻が生えているという理想的なポイントだったのだ。
「相手選手もそこには気づいていてね。きっちり攻めていたよ。でも前半、釣果がなかった。でも自分の狙いは決まっていたね」
後半に入り、大知さんは左の釣り座に入ると、そのポイント1点に狙いを絞った。足元からカケアガリまでの浅場に広くバラケさせてマキエを打った。沈下速度を遅くしたマキエは、海中でゆっくり拡散する。沖のカケアガリには、手前の浅場に撒かれたマキエが少量こぼれ落ちるように広がっていった。大知さんは、長く取ったウキ下を完全フカセ仕掛けにし、カケアガリの沖にサミングして投入。ゆっくりと仕掛けがなじむと、今度は竿先で仕掛けを張った。
『大知ウキ遠投スペシャル』は仕掛けを張ると、少しずつ手前に寄ってくる。そのぶん仕掛けがゆっくりとさらに深く入り込む。下段の構えで仕掛け操作に余念がない大知さんは、サシエをカケアガリに這わせて、小さく誘う動作を繰り返しては長時間待つというスタイルで攻めた。
「コツンッ」 、竿先が反応した。大知さんはラインを送り、十分食い込ませたと確信したのち、小さくアワセを入れた。その瞬間「これは大きい!」と思ったという。
「この1匹で決まる!」という思いのなか、掛けた場所はシモリに挟まれた海溝。気を抜けばすぐにラインブレイクにつながる。
「ヤツはカケアガリ沿いに、底を這うように左へ走ったね」
大知さんはハリスを擦らさないよう注意しながら20mほど走らせ、そこから竿の操作で自分の方向に向きを変えさせ、慎重なやり取りを5〜6分にわたっておこなった。そして玉網に収まったのは、目測で53cm、重量感あふれる2.5kgの大物だった。
準決勝戦は、結局この1匹で勝負が決まった。「相手には悪いけど、これで勝ったと思った」と、この試合を見ていた豊さん、そして大知さん自身もそう思ったという。そして決勝戦へと戦いが移っていく。
【第9話】に続く
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