チヌフカセ釣りの名手・大知昭(おおち あきら)さんのチヌ釣りのルーツや数々の栄冠を手にしたトーナメントへの取り組みなどを連載で紹介! ※プロフィールなどは2014年当時のもので現在と異なるものもあります。写真は主にモノクロとなります。ご了承ください。
待望の鱗海カップ開催!
「瀬戸内でシマノのチヌの大会が開催されることになったんだよ。とにかく燃えたね~」
マルキユーカップチヌの戦いの翌年、大知さん待望の大会が香川県小豆島沖を舞台に開催された。
2003年の9月20日(土)と21日(日)の両日にわたって行われた「第1回シマノ鱗海カップ」である。前年の2002年には広島県福山市沖を会場にプレ大会が開催されており、満を持しての開催だった。
大知さんはこの大会に推薦選手として出場。
「実はプレ大会にも出たんだけど、いい結果を残せなかったんだよ(6位)。なのに推薦してもらったからね。なんとしても結果を出さないといけないと誓ったよ」
と当時の想いを教えてくれた。
「チヌ」「瀬戸内」というキーワードでいつもながら「優勝して当然」というプレッシャーは周囲からかかっていたが、今回ばかりは自ら課したプレッシャーのほうが多かったという。
しかし会場となった小豆島は瀬戸内海といえど、大知さんには不慣れなフィールドだった。意外なようだが、この大会まで竿出しをしたことがなかったという。
というのも6月号でも触れているのだが、大知さんはサラリーマンなので、休日が限られており、くわてえこのころ大知さんが開発に携わったチヌ専用竿『鱗海スペシャル』『鱗海XT』のプロモーションも忙しく、試合の準備時間が限られていたからだ。
「つまりどこに上がっても一緒ってこと。自分の釣りをただただやるしかないなと思ってたね」
と大知さん。さらに、
「やるからには『たられば』は言えないからね。培ってきた経験と技術。そして闘志で戦うと決めた。今思えば『無茶するわ~』って感じだけど、実は今もあまり変わってないかな(笑)。でもチヌは常に追い続けていたから潮を読むとか食ってくる雰囲気を感じ取れる感覚っていうものはあったよ」
と語ってくれた。こうして大知さんは待望だったシマノのチヌ釣り大会=鱗海カップへと挑むこととなった。
サシエが盗られない厳しい釣況
大会ルールは各選手3試合ずつ行い、規定サイズのチヌの合計重量で優勝が決まるというもの。どの磯にもペアで上がるが、実質は3回戦の合計重量で総合順位を決めるので全選手が対戦相手となる。
「検量時に自分の順位が分かる競技方法になっていたんだよね。トーナメントともリーグ戦とも違うルールは新鮮だったよ」
と大知さん。試合会場となった小豆島は例年、9月はエサ盗りが多いもののチヌは安定した釣果が得られるため、さぞ釣り合いの展開が見られるかと思いきや、初戦から接戦ばかりだったという。
「事前の情報だと、40cm級混じりでコンスタントに釣果が出ていたと聞いてはいたんだけど、サシエは軟らかいオキアミさえ盗られないほどの低活性だったんだよね。釣り場によるムラも激しかったし、9月とは思えない厳しいコンディションだった。おまけに強い雨と風でね。安全面に問題はないレベルだったけど、とにかく釣りにくかったよ」
まずは1回戦。大知さんは小豆島沖の大部大島の「大岩」という場所での試合だったという。前日のほかの選手による試し釣りではまったくチヌが釣れていないポイントだったそうだが、前日にマキエが入っていたことで、エサ盗りは比較的多く、水面にはサヨリとボラ、中層はフグやハギなどが集まってきたという。
一方でチヌの食い気はかなり低いようで、なかなか食ってこなかったそうだ。
「オキアミをあきらめて『くわせ練りエサ・チヌ』を軟らかめに練り込んで、ハリスを底に這わせるようにして待ちの釣りを展開したよ。渋かったね~。でも練りエサのおかげで3匹のチヌをキャッチすることができたよ」
大知さんはこの試合、1,773g(3匹)を釣り上げ、1回戦を堂々の1位で突破。2回戦へと弾みをつけた。
しかしこの頃からより雨足が強くなり、海上にはウネリも出はじめたという。チヌの活性が低いうえに釣りにくさも増す。こんなときでも大知さんは集中力を切らさないように神経を研ぎすませた。
2回戦。大知さんは「小部の石切場」に渡り、スタートのホイッスルとともに練りエサで勝負をかけることに。磯渡しをした渡船の船長によると、小部の石切場は一発大物が狙えるポイントらしいが、当日は魚の気配がまるでなし。マキエを撒いてもエサ盗りらしき姿はまったくなく、生のオキアミもそのままの状態で上がってきたそうで、審判役を務めるこのエリアに熟知したシマノインストラクターも「どうして?」と首を傾げるほど厳しいコンディションだったという。
「風裏になるから釣りづらさは感じられなかったけど、サシエが盗られない状況は、前半後半の計200分、ずっと変わることはなかった。自分の経験では9月の瀬戸内でこんな状況ははじめてだったねぇ」
結局、大知さんでもこの状況を攻略することはできなかったそうだ。そして2回戦は釣果なしの0ポイント。この2回戦はどの試合もチヌの食いが渋かったが、1回戦で2位に付けていた選手が貴重な1匹を釣り上げ、大知さんを抜いてトップに躍り出た。しかし、半分近い選手が釣果なしで2回戦を終えたため、誰しもトップとの差はさほど大きくはなかった。
「挽回のチャンスがあるってことだね。でもそれはほかの選手にも言えるわけだから気の抜けない2日目になると覚悟してたよ」
そんなところへ主催側から選手へ一報。気象条件により、2日目は牛窓沖一帯の島しょ部を試合会場とすることになったのだ。前日の小豆島北部一帯の釣果が思わしくなかったため、「フィールドが変われば(釣果も期待できる)」と大知さんを含め、選手の誰もが気持ちを新たにできたのだった。
結果を出す大知流選択
「この日は練りエサだけで攻め通すことに決めていたね。理由? 9月の牛窓沖のパターンを聞いたからだよ」
当日の牛窓沖の釣り場は例年9月は紀州(ダンゴ)釣りが主流となっていた。紀州釣りは底を攻めることを基本としている釣り方。つまりチヌが浅いタナへ浮いてくるケースが少ないことが分かる。実際にこの時期は紀州釣りで数がそろえられていたのだ。つまりフカセ釣りで狙うなら底を徹底的に攻めていくことが有効な手だてとなるわけだ。
この情報からしっかり狙いを組み立てられるのは名人ならではだろう。
さて2日目の試合は前島という島の南西に位置する通称「クツヌケ」で行われることに。
「とにかく200分しかないわけだから、温存は考えなかった。最初から全力投球でいこうと思ってたよ」
前日の2回戦同様、クツヌケでも魚の気配は感じられなかったという。やはり3回戦も1匹、2匹の勝負となると判断した大知さんは練りエサを大きく付け、少しでも食い込みをよくさせるよう、海水で軟らかく仕上げる。仕掛けは『ふかせアタリウキ』のマイナス1/2Bをセットした全層仕掛け。ハリスを約5mとり、ガン玉はまったく打っていない。練りエサの重みだけで底を探っていく。
「波気があるし、曇天でウキも見えにくい。この場合、穂先でアタリをとらないといけないんだけど、活躍してくれたのが当時愛用していた竿『鱗海XT』。0.6号だったね。穂先がしなやかに仕上げられていたから、食い込みをよくしつつ、アタリをハッキリと自分に教えてくれたんだよね。勝てたのはこの竿があったからって言ってもいいよ」
普段の釣りでは、より食い込みを優先できる0号が大知さん的にはベストなのだが、試合となると少し強めなパワーが必要になる。でも1号だと少し強すぎて食い込みも落ちる。その中間となる0.6号は両方の釣りに対応できたからというもの。与えられた条件下で結果を出すための大知さんの見事な選択方法といえる。
こうして練りエサで底を探りながらチヌの食い気を誘う大知さん。なかなかチヌからのラブコールは届かなかったものの『鱗海XT』のしなやかな穂先でシブシブのアタリをとって626gをキャッチ。これ1匹で3回戦を終え、2日間に渡った「鱗海カップ全国大会」を終了することとなった。
帰港後、各選手が検量場へと向かう。釣果を上げたのは22名の選手のうち7名のみ。やはり小豆島同様、牛窓沖もチヌの食いは渋かった。
計3回戦の成績から順位が決められる。大知さんは総重量2,399g(4匹)の成績で、2位に33gの差を付けて見事、栄光の座に輝いた。
「誰にでもチャンスはあった大会。厳しい状況だったけど、釣り方次第では攻略が十分可能だった。それが実行できたのがうれしかった。それと鱗海カップの1回大会を獲れたこともうれしかったね。絶対に欲しいタイトルだったからね」
こうして念願の鱗海カップの第1回大会優勝を手にした大知さん。この高い目標をクリアした先に待っていたのはさらなる激闘の日々だった。
【第13話】に続く
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